1888
ランプ用灯油の需要が急速に増えた明治期、浪速の豪商・岩井文助は、いちはやく大阪市西区土佐堀で「山文岩井石油店」を創業しました。その後、支配人を務めていた初代吉田善三郎が、屋号を「山文吉田石油店」に改めて暖簾を引き継ぎ、石油問屋としての歩を進めました。
事業基盤を固めた創業期、工業発展と自動車の普及によって石油需要が伸びた大正初期、そして大正末期~昭和初期の経済不況も、手堅い商いを貫いて切り抜けました。
昭和に入って二代目吉田善三郎が事業を継承。石油業法の制定の影響を受けて最新鋭の製油所を建設するなど業績が急伸しました。その後も事業拡大・組織増強を図るものの、第二次世界大戦が開戦し、山文商事は戦時統制を受けて精製事業を手離さざるをえなくなり、丸善石油に吸収合併されました。
1948
戦中戦後の石油統制が解けて元売制度が新発足し、1949年に山文商事は日本石油(現ENEOS)と特約販売契約を締結。石油販売に徹して事業基盤を再建しました。
戦後の高度経済成長に伴って主要エネルギーは石炭から石油へと移り変わり、山文商事も復興・躍進を遂げていきます。直売代行業務の充実、給油所(SS)の増設、石油化学製品販売、LPガス販売にも携わり、1960年度には年商30億円を収めて180名の従業員を抱える企業へと成長しました。
石油時代・モータリゼーションの波が押し寄せる中、山文SS網の大拡充、名古屋支店や東京支店の開設、和歌山地区への進出など、目覚ましい成長を遂げていきますが、1973年の第四次中東戦争をきっかけとした第一次石油危機(オイルショック)により日本社会全体が低迷。山文商事も大きな試練に見舞われました。
1973
二度にわたるオイルショックで社会が混乱する中、山文商事は社是「信用・和・恩愛・誠実・努力」を徹底し、難局を切り抜けました。1975には資本金を倍額増資して石油市場の環境変化に対応し、大阪国税局の自主監査モデル法人(優良申告法人)に認定されるなど、健全な経営体制を貫いて現在に至ります。
順調に事業拡大し、1982年には山文SS網は69拠点に成長。自動車の定期点検整備を行う特定給油所の拡充や、POSシステム導入によるメンバーカードシステムなどで、業界内で大いに注目されました。
好調に業績を伸ばすとともに、社員教育制度や労務管理を整備し、福利厚生を充実。山文商事を支える人材の育成・確保に注力し、顧客満足向上へとつなげていきました。そして1988年に、100年企業の仲間入りを果たしました。
1997
再生可能エネルギーが脚光を浴びている昨今、山文商事は総合エネルギー商社として、太陽光発電システムのや燃料電池の取扱いなどの新規事業にも乗り出しています。その一方で、創業以来一貫して携わってきた石油事業では引き続き潤滑油の需要が高く、通常時も災害時も安定した石油の提供に努めています。
また、2000年には民間車検工場を併設したSSを立ち上げるなど、人々の快適な暮らしを支えるような事業拡大にも積極的に取り組んでいます。
エネルギーをめぐる状況や時代のニーズは変化していくのが予想されます。
130年以上をかけて築き上げてきた「信頼」という実績をもとに、
山文グループ一丸となってさらなる社会貢献に努めてまいりたいと願っています。